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かくも長き「不在」のお詫び

 投稿者:寺崎 進  投稿日:2012年 5月 9日(水)12時40分35秒
編集済
   前回の投稿(24年1月9日)から4ヶ月。この掲示板に書き込みをを始めてから初めてのかくも長き「不在」をお詫びします。その理由は専ら個人的なもので、説明のしようもありませんが、率直に言えば「その気になれなかった」だけで、格別の理由があるわけではありません。昨秋二冊目の自分史「続・私の過去帖」を自費出版して、自分の仕事に終止符を打ったことや、身辺整理(蔵書や陶芸作品の処分)に追われていたことも事実です。

 いずれにせよ、このホームページも間もなく「閉店」とする予定なので、投稿を再開してもそう長い期間ではないとは思うが、どうなることやら。将来のことはとにかく「神のみぞ知る」ということにしておきたいと思っている。

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「ネバー」と叫んでも既に「ギブアップ」状態

 投稿者:寺崎 進メール  投稿日:2012年 1月 9日(月)19時06分58秒
編集済
   先ごろ野田首相が発表した「税と社会保障の一体改革」案なるものを見て驚いた。この程度の案ともいえない「案」(しかも民主党内だけの意見)をまとめるのに、やれ「年内だ」いや「年越しだ」などと大騒ぎして、やっと発表した内容の何ともお粗末なこと。決まったことは消費税の二段階値上げの上げ幅と時期だけ。社会保障の方は殆ど手がついていないというズサンなものだ。要するに少子化と高齢化という人口構成の変化に対応できない(厖大な国の借金もある)からこの際増税をするしか打つ手がないことを理解してほしいという‘お願い’会見だったのだ。

 それならそれで、もっと‘お願い’らしく辞を低くして有権者の理解を求める言葉遣いやら態度で示すべきところだが、いきなり「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアップ」の連呼では増税のお願いどころか‘説教強盗’ともいうべき居直りと受け取られても仕方がない。第一日本国の首相が国民に増税のお願いをする時、怪しげな外国語を使うこと自体、非常識の謗りを免れない所業といわねばなるまい。首相が使った英語(?)らしき単語を全く理解できない日本人が(とりわけ高齢者に)どれだけいるかと考えたとき、首相の発言はそれだけでも国民を小ばかにした非常識なものとしか言いようが無い。

 首相はまた少子高齢化社会の社会保障の負担方式について「昔は一人の高齢者を多数の若者がお御輿を担ぐ『みこし型』で支えていたが少子化の進行によって現在は老人一人を若者三人で担ぐ『騎馬戦型』に、更に将来はこれが若者一人で老人一人を背負う『おんぶ型』になるとも説明した。この説明が真実だとしたら、それは現在の若者たちにとって「耐えられない日本の未来像」だろうし、そんなことはとっくに判っていたはずだろう。わずか十年前に「百年安心の年金制度」とのキャッチフレーズで自公政権が打ち出した年金改革案に猛反対した民主党、それが十年も経たないうちに消費税を倍増すると世界に向かった公約しなければ、世界を覆う信用不安の嵐に立ち向かうことができなくなるほどの重大事であるとの認識すらなかったということだ。

 太平洋戦争の敗戦から、高度成長期を経て世界に冠たる経済大国にのし上げたのは、やはり敗戦当時若者だった現在の高齢者たちなのだ。そのエネルギーの源泉は唯一「将来への夢」だったのだ。未来に希望の持てない現在の若者たちが「おんぶ型」の日本の未来に希望が持てないのは当然だろう。高度成長期の恩恵に浴して育った段階の世代は、次世代に増税のツケを回すのではなく「生まれてきて良かったと思える日本の未来像」を今こそ明確に示し、自らその先頭に立って実行するリーダーにならねばなるまい。
 

「正常」か「異常」かは多数決で決まる?

 投稿者:寺崎 進メール  投稿日:2011年 8月 3日(水)17時24分15秒
編集済
   最近、ラジオやテレビで天気予報の際よく使われる「夜のはじめ頃・・」という表現について一言。

 日本には昔から夕方から夜にかけての、日が暮れて間もない頃を「宵(よい)」または「宵のうち(宵の口)」と表現した。季節によって若干の差はあろうが、およそ午後6時頃から9時頃にかけてのそれこそ「夜が始まった頃」をさしていることは間違いない。

 だが、「夜のはじめ」という表現を会話や文章でストレートに使った例はあまり聞いたり見たりしたことが無い。勿論各種辞書や辞典などにも載っていない。なぜなら日本人はもともと『朝・昼・夜』をそれ自体明確な時間帯の呼称として感覚的に捉えていなかったからだろう。だから、「朝のはじめ頃」とか「昼のはじめ頃」とは誰も言わないし天気予報でもこうした表現はしてこなかった。

 では、どうしてこの表現がマスコミに登場したか。気象庁が平成19年3月に発表した「予報用語の改正について」によると「時間帯に関する用語」で午後6時~午後9時の「宵のうち」を「夜のはじめ頃」に「修正」したという。同庁によればこの際に約1200語の「予報用語」をすべて見直し、関係機関や有識者の意見を聞いたうえ、同庁のホームページでも一般国民の意見を募集した結果、この修正を決定したそうである。

 日本語の乱れ、意味不明の言い換え(例えば痴呆症を認知症としたような)の例は数限りないが、最近の日本の状況を見ているとこれが「正常」と「異常」の関係に深く結びついていることが解る。即ち、多数の人間が「これが正常」と思えば、それがたとえ「異常」な現象であっても「それが正常」と認められてしまう恐ろしさを感じる。「夜のはじめ頃」を私は「正常な日本語ではない」と思っているが、大多数の視聴者・リスナーたちが「これは正しい日本語だ」と思えば、その時点で「夕刻」「宵」「薄暮」「黄昏」などという‘正常な’日本語がマスコミや報道機関から消えてしまう恐ろしさである。

 最近の日本国をを見ていると、単に「夜のはじめ頃」に限らず歴史や伝統に育まれた情緒ある日本語の「崩壊のはじめ頃」になりはせぬかと、要らぬ心配をしている。
 

総理の背後に多くの‘心霊’の存在が

 投稿者:寺崎 進メール  投稿日:2011年 7月22日(金)14時30分39秒
編集済
   前回、四国八十八箇所遍路の旅について書いたが、帰宅後この1月間小生たち(夫婦)の周辺に起きた様々な‘異変’について若干触れてみたい。前記の通り、四国お遍路行そのものについては、さしたる支障もなくほぼ順調に消化して、その後高野山、伊勢神宮、比叡山と巡って参詣・参拝して約3週間の日程をエコカーで走破してきた。もとよりお遍路の主眼は世界平和であり家内安全、大願成就であることには変わりはないが、今回は更に3.11東日本大震災の犠牲者の追悼と、一日も早い復旧・復興が祈願の中に入っていたことは当然のことであった。

 ところが、遍路から帰宅して驚いたことに、出発前には気づかなかった様々な異様な‘心霊現象’が二人(小生たち夫婦)の周りに存在しているという驚くべき‘事実’が判ったことである。ある霊能者によると、「霊感や感性の鋭い人びと(家内の場合は特に霊感が強いとか)」に対して、四国八十八箇所はおろか、東日本大震災で‘無念の死’を遂げた多くの霊魂が未だに遺体も発見されぬまま、さまよっているともいわれている。そんな折、霊感の強い家内などが、震災犠牲者の慰霊のお遍路に出たため、そうした浮かばれない心霊・新魂がすべて、二人にすがって来た結果ではないかとも説明してくれた。

 とにかく一刻も早く一秒でも早く、非業の死をとげた御魂の慰霊を全国的に行うべきではないかとその霊能者は奨める。遍路から帰宅してほぼ一ヶ月。毎日仏前に手をあわせ、般若心経を唱えるのが精一杯のご供養と思っているが、それにしてもテレビで見る国会の論戦ともいえないほどの不毛の罵詈雑言の応酬を見聞きているうちに、人間はこれほどまでに{人の死」を弄んでいいものか、と思わざるをえない。人は本来「死」の前にはこうべを垂れ、合掌してその死を悼むのが自然の姿なのではないだろうか。国会審議で各質問者が決まり文句のように発する「お悔やみ」の言葉の何と空疎なことか。

 今なお、この世にさ迷っている霊、遺体すら発見されることなく、勿論手厚く葬ってもらっていない魂、戒名もなく死亡証明さえもらえない人々が数多くいるという事実を、為政者達は一体どう‘処理’するつもりなのか。自分の仕事にメドがついたら「若い人にバトンタッチする」と公言して憚らない‘無能総理’の頭の大半を占めているのは、大自然の猛威(むろん一部は人災もある)の前に心ならずも天命を全うできなかった人々の`悲痛な‘魂の叫び声’ではなく、自分があと何日何分何秒総理の座に座っていられるかどうかの、指折り計算だけだとしたら、嗚呼!もう何をかいわんやである。菅総理の背後に多数の‘さ迷える霊’の姿がありありと見える。
 

四国八十八箇所遍路の旅を終えて

 投稿者:寺崎 進メール  投稿日:2011年 6月18日(土)21時41分56秒
編集済
   あと一ヶ月で満76歳(数えでは77歳の喜寿)を迎えるのを機に、5月末から妻と二人で四国八十八箇所遍路の旅に出た。歩き遍路は体力的にも無理なので、山形から長躯車での遍路としたが、四国巡礼のあと高野山(金剛峯寺)や伊勢神宮(内宮・外宮)比叡山(延暦寺)などにも詣でてきたので、走行距離は約4,000キロ、期間も22日間の長旅となった。

 旅を終えての感想を一言で表すなら、人間にとって「解脱(げだつ)し涅槃(ねはん)の境地に到達することは一生の大仕事」であり、たかだか3週間ぐらいの遍路で「数多くの煩悩から脱け出すことはできない」という実感である。と同時にいかに多くの日本人が、人生の苦悩から逃れるための遍路を続けているかを、目の当たりにすることができた。

 数年前、菅首相(当時は厚労相だったか)が年金未納問題の発覚で辞任し、四国遍路の旅に出たという報道があった。頭を丸めて白衣に輪袈裟、金剛杖を持って遍路する菅氏の姿を、意外感を持って見た人も多かったのではないか。それは、攻撃的な舌鋒をもって政府与党を攻撃する野党時代の菅氏の姿とは別の、自分の内面を見詰めなおす修行僧の気持ちの片鱗を感じたからかもしれない。

 だが、その後首相にまで登りつめた菅氏の言動には、そうした自省的で謙虚な「人」としての姿勢が殆ど見られない。とりわけ東日本大震災の際の原発事故対策については、東電や保安院との連携がスムーズに行われなかっただけでなく、その後の国会審議などでは、「私には情報が来なかった」とか「自分としてはできる限りの処置・対策を実行した」など、自己反省のかけらも見られない答弁に終始している。とりわけ、「退陣の時機」についてはポストに恋恋としているようで、とてもお遍路さんの精神とはほど遠いものだ。やはりあの時の遍路は、有権者向けの政治的パフォーマンスであったようだ。

 四国では八十八寺巡礼最後の寺で「結願」(けちがん)の「証」を戴いてきた。その後、和歌山の高野山では「綬戒」(十善戒牒)を戴いて今回のお遍路の締めくくりとした。二歳年下の家内は「これからも毎年一回は行きたい」といっていたが、同感である。今回お遍路出発に際して小生は剃髪(ていはつ)して行ったが、三週間後に帰宅した際には、それもかなり(3~5㍉位)伸びていた。でも、坊主頭は手もかからず、見た目にも涼しくて夏向きでもある。省エネやクールビズが喧伝される昨今、菅総理以下の各閣僚にもこのスタイルをぜひおすすめしたい。蓮ほう(漢字が探せず仮名にした)前大臣の坊主頭(尼僧姿)など一見の価値ありと思うが如何?

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‘つむじ風’ばかりの政界

 投稿者:寺崎 進メール  投稿日:2011年 5月22日(日)17時04分33秒
編集済
   政界にはよく『風』が吹く。最近では半世紀ぶりに吹いた政権交代の「大風」が記憶に新しい。中にはこの風向きをよく読んで政策の舵取りに取り込み、自らの政権を長持ちさせた‘風見鶏’宰相もいた。要するに、世論の動向をいかに敏感に把握して、その流れに上手に乗るかの巧拙が、長期政権を維持できるかどうかのカギになるともいえる。

 ところで菅政権、ねじれた参議院をかかえて、23年度予算関連法案の成否がカギといわれ、自身の政治献金問題やら党内からの造反者やらで5月の連休前後には‘崖っぷち’まで追い詰められるとまでいわれていたが、3.11の大震災発生で辛くも‘延命’。未曾有の国難対処を理由にここ(5月下旬)まで命をつないで来た。

 そんな菅政権に対して昨日(5月21日)の朝日新聞には、「菅政権は続投を」を題する編集委員の署名入り記事が掲載された。勿論、大震災の「復興へ全力疾走が条件」と釘をさしてはいるものの、マスコミが政権支持の意見を(署名入りとはいえ)でかでかと掲載することにはいささか違和感を覚えるのは小生だけの偏見だろうか。

 さらに、本日(5月22日)の同紙には「民主 立ちすくむ」との見出しで21日開かれた同党の全国幹事長・選挙責任者会議で地方組織から「菅政権に対する批判的意見」が数多く出された一方、小沢元代表らを中心とした「菅降ろし」の動きについても数多くの批判的意見が聞かれたと報じている。これは、終盤国会に向けての野党側の倒閣運動や、その動きに乗じた不信任決議に同調するかのそぶりを見せる一部与野党連携の動きとも絡んで、政界内に起きている‘地殻変動’の予兆とも受け取れる。

 だが、こうした動きはあくまで限られた部分だけの小さな予兆であり、これが、今後どのように発展して政権交代をもたらすような大きな「風}となっていくかは全く予見できない。これらの‘風’はタイトルに掲げたようにまだまだ小さな‘つむじ風’程度ではあるが、果たして「仮に支持率が一桁台に落ちても、4年間の任期一杯は総理の座にすわり続ける」と、のたまった菅首相のの粘り腰が勝つか、「菅降ろし」の署名集めに奔走している小沢チルドレンや野党の‘尻馬連’が勝つか、‘風見鶏’の出番はもう少し先のことになるかもしれない。

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たった6行の「首相動静」に唖然

 投稿者:寺崎 進メール  投稿日:2011年 4月10日(日)11時54分47秒
編集済
   今日(4月10日)の朝刊に掲載されていた「首相動静」を見て驚いた。菅首相の9日の行動が時間の経過とともに簡潔に記載されていた。記事によると午前中は一人の作家(石川好氏)と会っただけ、午後は2時過ぎから官邸で枝野官房長官、細野首相補佐官、福山官房副長官とそれぞれ短時間会ったが、1時間もしないうちに公邸(自宅)に帰ったと、たった6行の首相動静は伝えている。いつもの土曜日らしい静かな‘休日’の首相の行動と変わりないようにみえる。

 だが、10日は「3.11」という未曾有の大災害、東日本震災発生から1ヶ月。いまだに行方不明の被災者が多数いるほか、原発事故による放射能災害も危険な状態を脱してはいないという段階で、危機管理ののトップであり、最高司令官でもある菅首相の行動としては、全く理解できないほどの‘閑人日記’ぶりである。災害現場に土曜も休日もないことは言わずもがなのことだ。

 先週の某週刊誌には、菅首相が地震発生の直後に、首相に政治献金をした外国人(日本国籍がない人)に電話をして「過去・現在・未来に亘って自分(菅総理)とは関係のない人でいてほしい」と頼んだとの記事がでかでかと出た。思えば奇しくも「3.11」の大地震発生のその時、菅総理は参院の委員会でこの‘献金問題’をめぐる野党の厳しい追及を受けていた。場合によっては総理の座もぐらつきかねない(前原外相は同様の献金問題で辞任した)難問に直面している最中に委員会室がグラグラッときた。

 結果論だが、この大地震で「献金問題」の追及はどこかへ吹っ飛んでしまい、菅総理にとっては崖っぷちに追い詰められた場面での‘延命ロープ’にもなった。ただ、この問題はいずれ震災騒動が一段落した場面で、再燃することは必至だろう。だから、震災直後に総理が献金者に電話をして「自分との密接な関係(外国人であることの認識も含めて)を絶ってほしい」と頼んだという週刊誌報道があながち根拠のない憶測であると断定することもできない。

 いずれにせよ、今回の震災対応をめぐって、総指揮官たる首相のリーダーシップや国民に対するメッセージの発信力、判断力、表現力については、疑問符がいくつもついている。とりわけ、来日したサルコジ仏大統領との共同記者会見における両首脳の態度ほど、二人の表現力(国民に対するアピール力や説得力)の落差が如実に表れた場面はなかった。身振り手振り(とりわけ手や指の)と顔の表情(特に眼力)を含め全身で語りかけた大統領に対して、しきりに手元のメモに視線を落とし、無表情で当たり障りのない常套句を力なくぼそぼそと述べた菅首相。この記者会見で菅総理のメッセージ発信力の無さに失望した国民も多かったようだ。説得力とは語るべき信念・情念をいかに相手に伝えるかの熱意の表れだと思うがいかが。

 追記:小生が上記投稿をした翌日(4月11日)の朝刊には「首相、3度目被災地入り」の見出しで震災被災地入りした菅首相の動静が詳しく報じられていた。一ヶ月間に3回も被災地入りしなければ現地の実状が把握できないのか、はたまた最近‘出番’のない首相のパフォーマンスなのかは不明だが、その視察中ちょっと気になる発言もあった。それは、地元漁業関係者に対して首相が『漁業が再開できるよう全力で‘応援’したい』と発言した点だ。一見ごく普通の激励発言ではあろうが、首相はあくまで被災民救済と災害復旧・復興の先頭に立つべき総指令官であり総大将なのだ。その総大将が『応援』といういわば『第三者的』とも受け取れる発言をするのはあの現場では不適当であり、不見識のそしりは免れまい。この期に及んでも総理の認識はただの「応援団長」程度なのか・・・。嗚呼! 

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国難の時こそ‘政治主導’で=現地本部の早急な設置を

 投稿者:寺崎 進メール  投稿日:2011年 3月23日(水)10時00分19秒
編集済
   震災後2週間が経とうとしているのに、いまだに救援の手が差し伸べられていない被災者が多数いるとの報道がある。電気、水道といったインフラの復旧の遅れや、ガソリン、灯油などの枯渇によるものだが、喫緊の課題は避難所生活での「生命の維持」をどうするかである。全体的にみれば、救援物資は現場近くまでとどいているのに、需要と供給のミスマッチで欲しい所に欲しい物が届いていないという。

 23日付の朝日新聞に「ミニ霞が関を現地に」という中村東洋大教授の一文が載った。災害情報論の専門家の意見だが、傾聴に値する。教授によれば『・・各省庁、自治体、地元消防団、NGOなどをまとめて連絡・調整する「ミニ霞が関」のような支援チームを現地に設けてほしい。・・・』とあり、ドイツやイタリアでも大災害の際、権限を持った現地本部がすばやく設置され、活動した。特に自衛隊には生活物資の確保、運搬、配布の役を担ってもらい、そうした経験のない被災県市町村を助けたという。

 一方、日本では原発事故とそれに起因すると見られる(一部に人災説もある)放射能問題に関心が傾き、避難所で飢えや寒さに苦しむ被災民の救援をよそに、やれ「食品の出荷停止だ」「原乳や水道水は飲めるか」「魚を食べたらどうなるか」などの‘仮想問答’に明け暮れ、果ては風評被害の補償にまで話が発展している。ガソリンや食料品のパニックに火をつけたのも、風評被害を煽っているのはほかならぬマスコミ自身であることを、猛反省すべきである。

 『基準値の何万倍の放射能を検出した』という報道だけを大きく扱い、基準値(しかも暫定)の設定とこれを基準とした仮定の計算(摂取・被ばくの期間が前提)の意味と内容を申し訳程度に小さく扱う報道姿勢そのものが‘風評’を煽っている。その意味で、宮城、山形両県と仙台市が「人体への影響が全くない」といわれる農産物の放射能検査は実施しないとしている(3月23日の時点で)ことは、いたずらに騒ぎを煽っているマスコミに対する当然の批判ともみえる。

 菅総理が現地視察の予定を直前に中止したことをめぐって、あれこれ憶測記事を書いている暇があったら、折角官房副長官に‘返り咲いた’仙石(前官房長官)氏を先頭に各省の副大臣や政務官クラスを引き連れて仙台のホテルあたりを借り切り、そこに被災民救援のための「現地対策本部」を設置、被災各県市町の代表者を集めて被災民の全容を把握した上で救援物資と情報を集中させた上で適所配分を指令、自衛隊、消防団、NGOなどの手を借りて欲しい所へ欲しい物を一刻も早く届けるシステムを構築すべきであろう。これこそが文字通りの‘政治主導’のあるべき姿ではあるまいか。枝野官房長官は東電の報道官ではなく、被災民のために存在する政府の報道官であるべきだ。


 

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ポピュリズムに負けた?都知事

 投稿者:寺崎 進メール  投稿日:2011年 3月18日(金)17時58分11秒
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   今回の大災害を「天罰」と言って物議をかもした石原都知事が、宮城県知事の‘不快感’の表明に対して『発言を撤回して深謝』した。問題発言の際、石原氏は「政治家のポピュリズムが悪い。我欲、物欲、金銭欲をあおっている」とも述べたという。この発言に対して宮城県知事が「塗炭の苦しみを味わっている被災者のことをおもんぱかった発言をしてほしい」と不快感を表し、すぐさま都知事が反応した。

 このやり取りを見ていると、両者の立場の相違が根本にあることが良くわかる。石原氏は都知事という行政の長ではあるが、一方で文筆を業とする作家であり、文明評論なども活発に行う評論家でもある。片や宮城県知事は地方行政の長であり今回の大震災で多数の犠牲者・被災者を出した宮城県の災害対策本部長でもある。このような二人の立場の相違が「報道」というメディアを通じておおやけにになると、とんでもない方向に行ってしまう危険性を持っている。

 小生も都知事の顰に倣って、前回「我欲と安逸を貪る日本に天誅」(3月15日付投稿)なる一文を当掲示板に掲載したが、被災者側に立った宮城県知事のような反応が出ることは十分予見していた。だからこそ石原氏のいう日本人(とりわけ政治家)批判と被災者に対する慰藉の情とは全く‘別次元’の話だと念を押して書いたところだ。

 しかし、石原氏は四月実施予定の東京都知事選に出馬することを表明したばかり。「ばらまき政治のポピュリズム」を批判はしたものの、都知事選挙というポピュリズムの象徴を自ら否定することはできまい。そこで、「言葉が足らなかった」という形で発言を撤回、陳謝して選挙民(都民)の批判を回避する道を選択したものと思う。だから表面的に同氏がポピュリズムに負けたとしても、彼は今でも現代の「日本人は我欲、物欲、金銭欲の亡者」であり「天罰」という持論を些かも変えてはいまい。

 なお、震災後に起きたガソリンや食料品などの買いだめパニックは徐々に鎮静化しつつあり、その一方で諸外国からの「暴動も略奪も起きない冷静で秩序ある忍耐の日本人」という賛辞が寄せられていることは、小生にとってはむしろ意外であると同時に、新しい日本人像の形成に一つの方向を示すものとして期待できる。古き良き日本人の伝統崩壊を嘆くより、次の世代に新しい日本人像を創造してもらいたいと思うのは、あに小生のみの希望ではあるまい。



 

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我慾と安逸を貪る日本に天誅

 投稿者:寺崎 進メール  投稿日:2011年 3月15日(火)12時57分21秒
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   悪夢のような地震と津波の大震災から漸く3日が経った。阿鼻叫喚の地獄絵図を繰り返しテレビで見せつけられたあと、今度は原発爆発・放射能汚染の広がり、市中では石油ショック時のトイレットペーパー騒動を上回るガソリンや食料品の買い占めパニック、大都会での交通大混乱と、延々と地獄絵図悪夢は続く。

 そんな中、石原都知事が「日本人の我欲をこの大津波で洗い落とせ。大震災はやはり天罰」と発言して物議を醸している。勿論、この発言を問題視するのは、震災の犠牲となった多くの被害者の立場に立ってのことであろうが、石原氏も「被災者がかわいそうですよ」と発言しており、同氏のいう「日本人」とは「被災者を含めた日本という国に生活する全ての構成員」を意味していることは言うまでもなかろう。

 小生もかねて講演の機会などがあると「戦後生活に戻ろう」と題して戦中戦後の耐乏生活の実態を語ってきたが、今回の大災害がはしなくもその実態を現実のものにしてしまった。特に戦後の生活は焼け野原の中に建てたバラック(この言葉も既に死語か)の中で、井戸水を飲み、毎夜の停電に石油ランプを灯し、炭団(たどん〉を入れた行火(あんか)を家族が順に使って布団を暖めて寝るという生活だった。勿論、食生活も貧しかった。配給された食券を持って銀シャリ(ご飯)を食べに食堂に列をつくった。

 そんな昔の日本に今更帰れという訳ではない。都知事の発言は「我欲・物欲・金銭欲の亡者と化した日本人」が自己抑制を忘れてしまったことが問題だと言うのだろうと推測する。この点では小生も石原氏の主張に賛同する。その一例がガソリンスタンド前の車の行列、スーパーでの食品の買占め、乾電池の売り切れなどなどに如実に表れている。やはり、日本人の良き伝統であった「つつましさ」や「はずかしさ」「身を慎む」気風がすっかり失われてしまったことを嘆かざるを得ない。

 特に問題なのはこの大国難を前に、国会では「自然休会」「統一地方選の延期」などを巡って無駄な議論を交わすなど、政治家(政治屋?)どもの我欲に満ちた(どうすれば自陣に有利かを判断基準にする)駆け引きを見ていると、「こんな日本に誰がした」と言いたくもなる。我慾と安逸を貪ってきた戦後日本人の愚行に天誅を加えられたとの思いは小生にもある。ただ、そのことが今回の被災者に対する慰藉の念とは全く別次元の話であることはいうまでもない。

t-sinyam@jade.plala.or.jp

 

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