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貴家のことは・・。

 投稿者:戸田正彦  投稿日:2017年 5月14日(日)17時22分8秒
  貴家のことは、ほぼわかりました。間違いなく、戸田宗光を祖とする戸田一族で、大垣戸田氏の分家、幕末に三河畑村藩一万石(後美濃野村藩1万3千石)の大名の家にあたります。曾祖父の戸田氏懿は、戸田氏の本家にあたる信州松本の当主の弟で、畑村藩主戸田氏良の養子になり(娘婿)跡を継いだわけです。従ってあなたは大垣と松本の戸田氏の血縁になるわけです。なお、曾々祖父の氏良は大垣藩主の弟ですので、幕末の大垣藩主氏共とは親しい関係だと思います。知りたいことは何でも質問してください。出来るだけ答えられるようにします。
 
 

戸田良氏のひひひ孫です。

 投稿者:戸田真規子  投稿日:2017年 5月11日(木)22時11分46秒
  初めまして。何処かに住んでいる戸田家の方と繋がればと思い、投稿しました。私の祖母の父が戸田氏懿という者です。戸田氏共と戸田極子さんからのお手紙も戸田氏懿宛に来ているので、親戚だと思います。もし、どなたか、私の家族のことで知っていることがあったり、子孫です!という方がいらっしゃいましたら、ご連絡下さい!飼っているワンコのツイッターのURLを付けておきます。宜しくお願い致します。

https://mobile.twitter.com/i/web/status/790088142011273216

 

烏山戸田氏へ

 投稿者:戸田正彦  投稿日:2016年10月 7日(金)19時03分13秒
  ①戦前までは裃上下、槍、刀、先祖の重箱等が残されていた②私の実母の見た先祖の重箱は、黒の重箱に、金で同じ大きさの丸が六つ、中心の丸があり、周りに五つの丸で囲まれていた・・・それが六つ星です③3代前が戸田徳三郎、昭和10年70歳没、妻リイは、烏山藩御納戸役手塚竹松娘・・・などを考え合わせると、烏山藩大久保家の家臣であったことが想像できます。大久保家は小田原の大久保家の分家で旗本から出世して大名になった家です。小田原の本家には、幕末に「戸田仁連木」なる、わが一族と思しき人がいた記録もあり、その分家にも戸田氏が家臣でいることは不思議でないと思われます。また、明治になっても家臣の間で婚姻関係を持つことは自然で、ましてお納戸役の娘とあれば、それなりの格式をもった(同等の)つきあいから嫁した家と思われます。六つ星の紋所を用いて戸田を名乗り、烏山大久保氏のそれなりの家格をもった家臣であろうかと、傍証は語ってます。因みに幕末の宇都宮戸田宗家の戸田忠友の実家の、旗本八千石戸田大学家は大久保氏が養子に入り今に至っています。烏山大久保氏の家臣録(給帳)を確認してみてください。幕末のものはどこかにあるはずです。教育委員会の社会教育課に尋ねられてはいかがでしょうか。  

戸田正彦様

 投稿者:戸田照徳 那須烏山市戸田家子孫  投稿日:2016年10月 5日(水)22時38分51秒
  遅くなりまして申し訳ございません。
御教示頂きました件につき調べましたところ、
物的資料は、発見に至りませんでしたので、以下は口伝であります。
4代前の先祖は戸田作平、明治42年に77歳没、妻はコウ.3代前が戸田徳三郎、昭和10年70歳没、妻リイは、烏山藩御納戸役手塚竹松娘で、昭和13年、70歳没。
戦前までは裃上下、槍、刀、先祖の重箱等が残されていたそうで、明治当初は名主で、田畑、山林を広く持っていた。
藩は不明。
明治になり、地域の共同墓地を作り、代表が戸田作平であった。

表記は戸田 作平だが、戸田作兵衛と書かれることもあった。

明治から昭和までは、他村の村長から嫁を貰っていた。

家紋は、私の実母の見た先祖の重箱は、黒の重箱に、金で同じ大きさの丸が六つ、中心の丸があり、周りに五つの丸で囲まれていた。

梅鉢は、他の親族が後に間違ったらしい。

菩提寺は那須烏山市神長、真言宗智山派 観音寺で、明治の火災で記録がない

との事でした。

断片的な聞き取りで申し訳ございませんが、何かご記憶にあるものがございましたら、ご指導お願い致します。
                               戸田 照徳
 

堺の戸田さん

 投稿者:戸田正彦  投稿日:2016年 9月30日(金)23時12分43秒
  鳥取藩士の末裔の戸田氏で、戸田宗光を先祖とするわが一族の戸田氏であることは間違いありません。鳥取藩戸田氏の本家になる家の系譜をもとに、ご先祖は明快になると思います。わかりましたら連絡します。うれしいですねえ。  

戸田正彦 様

 投稿者:鳥取県米子市の戸田家の子孫  投稿日:2016年 9月29日(木)14時37分48秒
  先日投稿させていただきました堺市在住の戸田家の子孫です(鳥取県米子の戸田家)
鳥取の戸田家の事をご存知との事 お知らせいただきありがとうございました。
戸田正彦様が以前、『勝山の山中に逃げ延びた戸田某の奥方』のことを書き込んでおられたのを拝見したときにふと、何か関係があるのでは・・と直感のようなものがあり、やはりそうだったかと大変嬉しく思いました。
先日鳥取県立博物館に出向き、鳥取池田家の家臣の中に他にも戸田家がないかを調べてまいりましたところ、全部で6家ありました。この6家の家譜を調べてみたら、どの家と繋がっているのか解るかと思います。
以前は、他にも戸田家があるだろうなどと思いつきもしなかったので、調べるべき資料を見つけられて本当に感謝でいっぱいです。また、家紋も判明致しました。丸が6つの紋でしたが、いわゆる六星とは異なり円周に沿って小さい丸が6つ並んでいる変形(?)の六つ星でした。
以下は、現在 解っている先祖の名前です。ご覧いただいて、何か思い付かれることがありましたら、またお教えいただけましたら幸いです。

        弥三
           |
        又四郎 ー 又十郎 (長久手にて討死)
                             |
               初代     常陸 → 孫右衛門 (食客として岡山城にあり)
                             |
               2代     伝右衛門 (池田満仲 国替えの時 鳥取に随行し米子城詰めを仰せ付かる)
                             |
               3代     弥三  → 孫右衛門 → 角平
                             |
               4代     孫右衛門 → 平兵衞
                             |
               5代     又四郎 → 孫右衛門
                             |
               6代     平兵衞 藤原昌常
                             |
               7代     孫右衛門 藤原常久
                             |
               8代     龍左衛門  藤原親宣
                             |
                           平兵衞  康満
                             |
               9代     弥三  → 和光  (1923年没)
先程の『他の戸田家』についても判りましたら、また書き込ませていただきます。


 
    (管理人) 堺の戸田様
管理人です。貴家にかかる精緻な書き込み有り難うございました。
こちらからご連絡したいことがございますので、管理人あてメールを戴けると幸いです。
メールは本掲示板下部管理者あてメール機能か三河波上戸田氏の系譜HP左部分メニューのメールマークの
クリックでしていただければ宛先が自動セットされます。よろしくお願いいたします。

 

京都の戸田

 投稿者:京都の戸田  投稿日:2016年 9月 3日(土)12時28分55秒
  自分のルーツが知りたくて、色々調べてみるもわかりませんでした。祖先に好之助や利助と言った名前がありました。少なくとも明治初めには京都にいることがわかっていて、それより前も京都だと思います。浄土宗で祖先はどこかの城主であると聞いています。家系図もあるようですがどこにあるのかわかりません。京都の戸田についてお詳しいかた情報交換お願いします。  

ありがとうございます

 投稿者:もっちさん  投稿日:2016年 8月 3日(水)09時12分40秒
  十万石太平記ですか。調べてみたいと思います。ありがとうございます。祖父と曾祖父は、神職をやっていたのですが、その前は、わかりません。ですが、地主だったことはわかります。小学校の土地の一部も寄付したみたいですし。  

もっちいさま

 投稿者:戸田正彦  投稿日:2016年 8月 2日(火)23時40分19秒
  紋所の九曜星は、大垣藩主戸田家、このオーナーの浪の上戸田家、など多くの戸田氏が使用しています。大垣には、藩主家からの分家して家臣になった戸田氏もいて、お祖父さまのお持ちだった系譜を見れば、即わかると思います。また、大垣の人が書いた「十万石太平記」という本があり、これは大垣戸田家家臣の来歴がわかる貴重な本です。お祖父さまのおじい様くらいでしょうか、幕末時まで辿ることができれば、大垣藩士ならすぐわかると思います。  

戸田 晃さま

 投稿者:戸田正彦  投稿日:2016年 8月 2日(火)23時21分47秒
  曾祖父が戸田光遠とのこと、驚いています。ならば、光篤、光澄、鉄雄さんというお名前に記憶がありませんかと、90歳のお母様にお訊きください。光遠には3人の男子がいたようですので。もっとも、お母様の戸籍から追いかければすぐわかるはずです。貴家は5千石の旗本で、領地が岐阜にあり信州松本藩主戸田氏の分家です。光遠まではすべてわかりますので、何でも訊いてください。  

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